26 Feb 2015

Live Review - Django Django / Songhoy Blues

最近バタバタとライブに行く日々を送っている私ですが、ここ1週間で印象に残ったライブを2件、記憶がフレッシュなうちにレビュー。
まずは2月17日にHomertonの200人キャパのChats Palaceというコミュニティスペースで行われた、Django Djangoのカムバックギグ!
 数日前に突如発表され、そのメールに直ぐに気づいた暇な人たちが運よくチケットをゲットできた(5分ほどで完売)という超プレミアライブとなりました。
セットリストは下記の通り。思った以上に新曲は少なめ。
さて、最後に彼らのライブを見た2013年のプリマヴェーラから約2年、5月に発売予定のニューアルバムより先行シングル”First Light”が1月に発表され、ザラザラした砂漠の空気がスキっと晴れたようなサウンドに仕上がっているのがうかがえました。
 実際ライブでは全体的にタイトにキュッと無駄が削ぎ落とされつつも、さらに踊れるエレクトロサウンドが加わったと言えます。(これが決して陳腐に仕上がっていないのが、よっ、さすがジャンゴジャンゴ!)
いうなれば、「荒野の中の宇宙」だったのが「宇宙の中の荒野」にワープした感じ。分かります?分かりませんよねー。
もう観に行ってください、今年の夏に絶対見逃してはいけないバンドNo.1(現時点)です。Reading & Leeds、Field Day、End of The Roadフェスなどへの出演が現在発表されていますが、私の予想ではフジロックに来てくれるんではないかな・・・?実現すれば3年ぶり・2度目のフジ出演となります。期待!!

さて、続いてはマリ出身の健康的なブルース・バンドSonghoy Blues(ソンゴイ・ブルース)。
私が彼らを初めて見たのは、昨年11月のデーモン・アルバーンのRAH公演でのサポート・アクト。
それまでにも、デーモン主宰のAfrica Expressや、昨年のVISIONS FESTIVAL、ジュリアン・カサブランカスのサポートアクトなどに出演し徐々に人気を得ていた彼らが、ついに先日UKでのデビュー・アルバムをTransgressiveより発表しました。
 タイトルの「Music In Exile(亡命の音楽)」にも思いが込められており、大好きな音楽がここにある喜びと故郷の現状に思いを馳せているというものです。

先日のOsloでのライブはSold Outで見ることが出来ず、ついにXfmラジオの収録ライブをBarflyで見てきました。
彼ら独自の言葉で歌われる楽曲たちはどれも力強く、言語の壁を超えて伝わる思いがあります。
MCでも「マリに捧げます」「これはマリの砂漠を表した曲です」と解説。さらに、「ロンドンは第2の故郷、もうホームです、ここに居られて本当に嬉しい!」と喜びを語っていました。
その喜び爆発のテンション最大値のライブは、誰でも心の底から一緒に踊りたいと思えるお祭り騒ぎ感。
音楽って、カッコつけたり自分たちを特別扱いするためのものじゃ無かったよね、みんなのものだよね、という清清しい気持ちにもさせてくれます。
彼らもチャンスがあったら絶対に生で見て欲しいバンドなのです。あ、そしたらこっちがNo.1!(早くも首位交代)
Xfmの放送はいつになるか未定のようですが、音源がアップされたらまたブログにて報告します。

さて、控えているのは今イチオシフォークSSWのMarika Hackmanちゃん、去年から注目のSundara Karma、あとこちらも人気上昇中のGengahrを見に行く予定です。帰国まで、全力で音楽を浴びて帰る所存!

22 Feb 2015

Blur Release New Album & Play in Hyde Park!

ブラーファンの皆さん狂喜乱舞のこの週末。
木曜のロンドン時間14時に正式に発表されました、4月27日に通算8枚目のオリジナルアルバム「The Magic Whip」(ザ・マジック・ウィップ)の発売と、6月20日のBritish Summer Timeでのヘッドライナー。
今分かっている情報を、リンクとともにまとめてみました。
今公開されている音源・動画は以下です。
★新曲「Go Out」のMusic Video

インタビュー↓
1.Facebookのみで公開されたストリーミング映像
2.NMEのインタビュー
3.BBC6 Steve Lamacqのラジオ出演音源

これらのソースを元に、現時点でメンバーの口から出てきた情報などをざっくりと要約すると・・・
★新譜発売の経緯
2013年のワールドツアーで香港→日本→台湾と回る予定だったのが、日本・台湾のキャンセルにより、香港で5日間のフリータイムができた。自然発生的な感じで、「とにかく楽しかったから」ということでスタジオにてレコーディング。
帰国して何も起きないまま18ヶ月が過ぎたころ(デーモンがちょうどEveryday Robotsのツアーで世界を飛び回っていた頃)にグレアムがデーモンに相談、「あの時の音源、ちょっと僕のほうでいじくっていい?」と。
そこでグレアム曰く「僕らという人間を良く知ってて、忍耐強い人」ということでBlurのデビューから5枚のアルバムを一緒に作ったプロデューサー、スティーヴン・ストリートが呼び出され、音源のアレンジを進める。それを聞いたデーモンは「なにこれ・・・いいじゃん・・・」となり、昨年12月のオーストラリア公演の終了後に香港へ飛び(グレアムに恩着せがましく「わざわざ行ったの!いや良かったんだけどね良かったんだけどね」と言っていますね)、歌詞を再構築してレコーディング。
そしてついにミキシングが完了したのが発表の前日ということ。「秘密にしてたっていうか完成したの昨日だから!」と。
デーモンはスティーヴンとの久々の仕事に「緊張した緊張した」と強調していますね。

★なぜ香港?
デーモン曰く「Monkeyなどで中国を訪れることが多く、前から感情的な繋がりを強く感じていた。」

★アートワーク
実際のネオンサインを写真に撮ったものだということ。Go Outのビデオとあわせて、手がけたのはTony Hungという人物のようですが、私の調べた限りでは情報が出てこず。

★今後の動き
6月20日のHyde Parkのウォームアップギグとして、スコットランド&ウェールズを含むイギリス国内でのライブを予定しているとのこと。

★余談
 好きなブラーの歌詞は?の質問でグレアムが、「フィクションの物語調っぽいのも好きだけど、やっぱりデーモンがリスクを負ってまでも自分自身の感情を表現しているものが好き、今回のアルバムにもそういう曲が入ってるよね。それでもまだヴェールに包まれてて分かりにくいから、それを”通訳”するのがギタープレイヤーとしての仕事であり・・・」と説明している横で照れまくるデーモン。泣きそうになっているデーモン。この2人の友情に誰しも涙したことでしょう!!

他にも引用したい部分がいくつかありましたが、長くなるのでこの辺で。
私は5月に日本へ帰国しますが、6月ブラーのためだけにイギリスに戻る予定です。
早くウォームアップギグのスケジュール発表してくれー。

お、新しいアー写やたらイケメンだなぁ・・・

8 Feb 2015

Guardian紙が選ぶデーモン・アルバーンの名曲ベスト10

ソースはこちら。素人仕事なので意訳の雑な部分はご容赦ください。
イギリスらしい、デーモン愛と皮肉たっぷりの記事でした。笑
 
1. Blur - For Tomorrow

 半世紀以上もの間ロックンロールは、ミュージシャンたちがアメリカ・イギリスで海を挟んで同じ系統のバンドを模倣したり、あるいは流行に逆らって独自のスタイルを確立することで、互いの競争に利益をもたらし合っていた。
1993年における自身の環境を描くというデーモンの新たなミッションは、当時一世を風靡していたシアトルのグランジに対する直接的なリアクションとなり、さらにゆくゆくブリットポップ(前世代のブリティッシュ・ポップの反乱からの借名ではあったが)と呼ばれることとなる反革命的な動きを生み出すこととなった。
デーモンとアートスクールのやんちゃな仲間たちがバギーの一端に便乗するような形ではあるものの、ブラーはすでに1991年発表の「There’s No Other Way」でチャートでの成功を経ていたが、確固たるものでは無かった。
For Tomorrowは堂々たる大胆なコード進行で70年代のきらびやかな自信を呼び戻すとともに、繰り返しのキャッチーなコーラスやロンドンについての歌詞といった、デーモンの曲においてお馴染みとなるいくつかの要素が見られる。突然ブラーが意図を示したのである。
For TomorrowはSqueezeの全盛期に見られるようなラブストーリー的、写実ドラマ的な要素を全て持っていたが、デーモンが本当に求めていたのはレイ・デイヴィスの鋭い観察力とそれに基づく皮肉っぽい歌詞であったと言える。
キンクスの名曲でdirty old riverを渡っていたテリーとジュリーが、吐き気のするような状況を避けようとしてWestwayで迷子になってしまったジムとスーザンになったというわけだ。


2. Blur - Girls & Boys

 Parklifeからの最初のシングルであるGirls and Boysは、スペイン・マガルフのサマー・ホリデーと、デーモンがサマーベッド越しに見たもの、それからマーティン・エイミスの小説にインスパイアされた曲だ。彼がワーキングクラス(アンチによってもたらされた批判の代表だ)を風刺していたのなら、彼はスタニスラフスキー的な姿勢(感情に刺激を与えることで、よりリアリティを求める)での風刺を想定して、少なくとも自らを自虐的に嘲笑うように仕向けていたと言える。
Girls and Boysは単にClub 18-30(イギリスの若者向けリゾートパーティパッケージ旅行)を茶化しているわけではなく、
プールへの飛び込みやアミルアルコールの一気飲み、二度と会わないような人とのカジュアルセックスのことをも言っているのだ。
 そのゆらゆらとしたオクターブ移動のある繰り返しのディスコグルーヴと力強いベースラインは、ブラーの音源を求めていた敏感なファンのみならず、ポール・ガスコイン(イングランドのサッカー選手)をもてはやすような快楽主義に夢中の読者やオトコ女といった大衆にもウケたのだった。
Girls and Boysは今でも聴かれているが、スナップ写真・記録資料であり、1994年という庭に埋められたタイムカプセルでもある。
デーモンがあいまいなセクシュアリティをリビングルームにもイングランド中部のダンスフロアへ持ち込んだことで、大ヒットとなるにはスマートすぎ、コーラスにおけるふざけたアンドロジニーは曲自体のトロイの木馬となってしまっている。


3. Blur - To The End

 Parklifeからの2枚目のシングルは、他のどのシングルとも極めて違っており、プロデューサーにはいつものあの人Stephen Streetではなく、Stephen Hague(New Order、Pet Shop Boysなどのプロデューサー)を起用している。
もしもParklifeの中の曲の多くがイングランドの状況を観察したものであるならば(Magic Americaの中で小バカにされているような燻っているヤツだとか)、文化的に劣等感を抱いているアングロサクソンが一見無頓着に見えるその上品さを、海峡を挟んで羨望のまなざしで見ている(注:フランスのこと)ということをTo The Endではやっているのだ。
プラハで撮られたヌーヴェルヴァーグ風のビデオは、まるでパリのオペラ座とヴェルサイユ宮殿の庭(プラハの方が安上がりだったんだろうね)で撮影されたかのようである。
白黒フィルムで、カジノ・ロワイヤルに登場するPeter Sellersのような黒縁めがねのグレアム・コクソンをフィーチャーし、弦楽アンサンブルと狂った拍子、さらにレティシア・サディエールの意味の分からないフランス語の囁きを押し出した曲にぴったりの派手なプロモとなった。バンドはさらに同曲を、名高いシャンソン歌手フランソワ・ハーディと共にJusqu’à la Finとしてフランス向けにレコーディングも行った。
歌詞としては儚い恋の悲しい終焉の前触れを描いている、が、実際の体験を元にしていると仮定したら、まあ・・・それはこの曲を書くのにちょうど良いほどの辛いものだったのではないのだろうか。


4. Blur - Beetlebum

 ブラーはあの1995年の最も知られるバトル(注:オアシスとのシングル対決のことですね)に勝ったが、1997年までの間には負けてしまっていた。

世界的に良いレビューを得てセールス的にも大ヒットとなった4枚目のアルバムThe Great Escapeは突如アンチを生み出し、オアシスが強大になるにつれて、デーモンの人を食ったような陽気さとライミングへの執着への関心は薄れていったように見えた。デーモンはその手のひら返しに嫌気が差した。
最近の彼の告白によれば、この敗退のせいで手を出すことになってしまったヘロインは、もちろん悪いことではあるが、Beetlebum(当然、今まで1位を取った曲の中で最も気だるいものになった)へのぼんやりとした情熱をもたらすこととなったという。
アレックスが当時BBCラジオ1のSimon Mayoに明かしたところによると、ブラーの新たな方向性は「ブリットポップよりも、もっとイギー・ポップっぽく」となり、1997年に製作されたセルフタイトルアルバムを以ってそれを示すこととなった。そしてここでメンバーのPavementへの情熱も明らかになった、なおブラーの曲からいたずら心を排除しようと追求したところ、スティーヴン・マルクマスのもつ遊び心も欠落してしまったのだが。(マルクマスは、解散前のPavementのUKでのライブで「Tender is the song/ That goes on far too long」と歌っておちゃめにレスポンスしている)
時として少々過熱気味のところはあったかもしれないが、彼らが辛い時期を乗り越えてきたという事実があったからこそ、彼らの個人的な無駄を省いたプログラムのように完成したのがブラーの5枚目のアルバムだと言えるだろう。Beetlebumは今もなお、痛みの無い美しさと危険から逃れられるような繊細な明晰夢を伴ってその存在感を放っている。


5. Gorillaz - Clint Eastwood

 1998年、デーモンはミュージシャンではなく「タンクガール」の作者であるフラットメイトのジェイミー・ヒューレットと新たなバンドを結成した。その新たしいグループは音楽的にも存在としても今までとは全く異なるものとなった。対照的に、暗黒時代に取り残された面白おかしい素人感のあるメガミキサーということになってしまうが、唯一Jive Bunnyだけがコンセプト的には比較できるようなものかもしれない。
ゴリラズは後に世界で最も成功したバーチャルバンドとしてギネスブックに載ることとなった。カートゥン・ポップグループによってもたらされるマンガ・マルチメディア体験というアイデアがはじめは一見特に大したことが無いように見えたが、これがなんと夢のように成功し、CDの売り上げもそれに付随するものになった。
2001年のClint Eastwoodという曲は、そのへろへろ・ヒップホップ/ボサノヴァのグルーヴ、おどろしいメロディカ音、Del tha Funky Homosapienによるクリーンでキレのよい流れに合わせて目を引くアニメーションを据えて、たちまち人気を博した。ゴリラズはアメリカの市場に食い込むことで、ブラーよりもより世界的なものであると見せつけることとなった。トレリック・タワーや街のストリート・アートなどの「舞台装置」が、かつて他のデーモンの作品がそうしてきたように、同じロンドンで生まれたものであるということを色濃く表していようとも。


6. Mali Music - Sunset Coming On

 デーモンのアフリカ愛はよく知られており、アフリカの素晴らしいコンテンポラリー・ミュージシャンと数人のヨーロッパのミュージシャンが一緒になって取り組んだ、2012年の「アフリカ・エクスプレス・トレイン・ツアー」で絶頂を迎えることとなる。この革命のスタート地点としては、デーモンがOxfamの招待で初めてマリを訪れた時だろう。彼曰く、彼の人生を変える冒険だったという。

腐敗した偽善的な任務か、はたまた「新・スティングの誕生」というのは全くの見当違いだった。彼はカメラから離れた自然な環境でミュージシャンたちを探し出し、西ロンドンのポートベローロードにあるHonest Jon’s Record Shopに属するレーベルとの架け橋を作り出した。そして誰よりも効果的に「ワールドミュージック」という言い方への反論を打ち出したのだった。デーモンのマリへの愛情は今もなお注がれ続けている。

しかし、もしマリ・ミュージックが名目上のものではなかったとしても、名曲ベスト10の中にSunset Coming Onは入ってくるだろう。マリの音楽の構造や慣わしを示して、こういうものなんだと欧米のリスナーに伝えるための最も分かりやすいトラックだ。確かにBamako CityやMakelekeleといったトラックは、大音量で繰り返し演奏され、夢中になって踊りまくるための曲となって良いと思う。Sunset Coming Onはタイトル通り、その音、味、香りで爽やかなたそがれのアフリカの夜へといざなってくれる。とにかくまぁ、驚くほど美しい曲であることは間違いない。

7. The Good, the Bad & the Queen – Kingdom of Doom

 2006年、ブライアン・イーノをして「生きている中で最高のドラマー」をいわしめた男、さらにThe Clashでベースを弾いていた男、London Callingの楽器を振り上げているあの男を迎えて、デーモンはまた新たなバンドを結成した。
デーモンはポール・シムノンにパーティで出会った後彼を呼び出し、隠居から引きずり出すための相談を進めた。Fela Kutiのドラマー、トニー・アレンはゆくゆくデーモンと数々のプロジェクトを重ねることとなる。
Parklifeがデーモンにとってロンドンについての初めてのコンセプトアルバム(愉快な道化満載でね)であったが、こちらもすべてロンドンについてのアルバム(不吉な予感と、まだ見ぬ教訓を思い起こさせるような秘密感をもって・・・)である。
この曲の中で彼は「一日中飲むしかない、国は戦争をしているんだから」と、どういう訳かホガース風の風刺を用いてイラクでの戦いについて嘆いている。
メッセージが何であれ、シムノンの気ままなベースプレイは、全ての支えとなり、迫り来る危険と向き合うためのポジティブな手段のひとつとなっている。
テムズ川がTGTB&TQでは主役を果たしており、ちょうど偶然にも曲が書かれた頃に1頭のくじらがテムズ川を泳いでいるのが発見されたということがあった。「街に馴染みのない生き物が現れるのは人々に社会について何か伝えたいことがある時だ、という言い伝えがあるだろう、」とデーモンは言っていた。「鯨が死んでしまったという事実、それが全てを物語っているよね。」


8. Gorillaz – Stylo

デーモンの牽引力は2010年発売のGorillazのアルバムPlastic Beachでも引き続き発揮され、スヌープ・ドッグなどの一流ミュージシャンの名を連ねることができ、さらに捕まりにくいとされるルー・リードやマーク・E・スミスのカメオにも成功している。

そしてその中の1曲Styloでは、ほぼ隠居だったボビー・ウーマックの熱狂的なパフォーマンスによって、自らそのハードルを上げたと言えよう。彼の声が聞こえてくるまでの約2分間、機械仕掛けのようなバックミュージックとアンビエントなキーボードとデーモン(最初のヴァースを担当している)が目立っていようとも、彼は全く気にしない。ウーマックのパフォーマンスにはただただ開いた口が塞がらない。昨年6月に亡くなったウーマックは、ローリングストーン誌に「多くの人たちと仕事をしてきたけれど、ゴリラとは初めてだな。」と話していた。彼の娘が、長い休暇を終えてカートゥン・バンドと仕事をしてみるよう説得し、ようやく動き出したということがあったわけだが。
ウーマックは頭の中に湧いてくるものなら何を歌っても良いと任されていたように見えたが、15年の間に積もり積もったフラストレーションのガス抜きをする過程で、
糖尿病だったシンガーは、低血糖に陥り死にかけたそうだ。ある意味もっと素晴らしいのは、デーモンが何とかして半ヴァースのためにモス・デフを口説き落としたということだと言えるかもしれない。1999年の"Back on Both Sides"という傑作アルバムから全く音沙汰が無かったわけである。


9. Rocket Juice & the Moon – Poison

どうやってレッチリのフリーのようなミュージシャンの中でも誇大妄想癖の人を手なずけるのか?答えは、かつてほど強くドラムを叩けなくなってしまった74歳のアフロビート・アーティストのトニー・アレンと彼を結びつけたことであるように思われる。理由は何であれ、そのベーシストはこの極めて意外な状況において、センスの良さを限界まで発揮している。正直なところ、スーパーグループというものには全く期待していなかったのだが。
Rocket Juice & The Moonが愉快な同盟となり、デーモンがボーカルを担当したPoisonがここ数年で彼が歌った曲の中で名曲の一つとなったのは、おそらく嬉しい驚きであっただろう。ダブっぽさ、スライドするベース、ずるずる長いメジャー7コード、そして広大な宇宙、そのすべてが愉快だ。デーモンの、あの日はよかったぜという感情が溢れるメランコリックな愛の物語は、ブラーの時から彼の得意分野であり、今回もいかんなく発揮されている。昨年のEveryday Robotsでは今までのどの作品よりもより輝きを増しつつ、ダイレクトな表現になっている。


10. Damon Albarn - Mr Tembo

挑戦的な作品であったEveryday Robotsの中で、孤児だった象の赤ちゃんについて歌ったMr Temboは注目すべき曲の一つであろう。
どうでもいい物議をかもすチョイスかもしれないが、そのチビちゃんのお母さんを撃った密猟者ほどのダークな心を持っていない限り、誰だってこの曲に感動するだろう。デーモンがタンザニアの動物園でテンボ(スワヒリ語で象の意味)に会った時にその子の為にウクレレで書かれたこの曲は、デーモンも驚いたことに60曲くらいあったデモ音源のなかから、共同プロデューサーのリチャード・ラッセルにアルバム収録曲に選ばれたのだった。
そしてレイトンストーン聖歌合唱団をフィーチャーしたその陽気なナンバーは、デーモンの娘に向けて作られたものだった。サンデー・タイムズ紙に語ったところによると、「あの子の直近の誕生日に彼女のために1曲歌ったんだけれど、嬉しさじゃなくて恥ずかしさで叫んでいたね。で、もうこの子のために曲を書くのは止める時だと。」とのことだが・・・。
ポール・マッカートニーがMartha My Dearで彼の牧羊犬について歌い、マイケル・ジャクソンがねずみに向けてBenを歌い、今度はMr Temboが小さな「怪獣」に向けたラブソングとなった。NMEには、彼がセレナーデを演奏しているのを聴いてすぐさま「つまんなーい」と言っていた、と語っていた。誰だって批評家だ。