前回の記事に引き続きベルリン旅行記後編は、行ったDDR関連のミュージアムについて。
DDRを深く知るための情報がギュッと詰まっており、あらゆる角度からかなりディープにDDRを学ぶことができました。私はいったい何を目指しているんだ…
1. DDRミュージアム
東ドイツ時代の市民生活に焦点を当てたミュージアムということで、インタラクティブな展示と、冷戦時代の変遷を詳しく説明している(文字メインの)セクションがありました。
トラビの運転をシミュレーションできるコーナー、当時のラジオ放送が聴ける(ドイツ語なので???ですが…)コーナーなどの体験型のアトラクションは、壁が崩壊してから生まれた子供たちにとっては新鮮なようで、たいへん賑わっていました。
↓ちょっと見つかりにくい場所なので要注意。
↓これはまさに映画「善き人のためのソナタ」で描かれている、シュタージの盗聴部屋を再現した場所。行く直前に映画を見ておくと、よりイメージがしやすくて良いですね。
2. シュタージ・ミュージアム
ここはまさに東ドイツの秘密警察・シュタージの本部の建物をそのまま利用している博物館で、主にシュタージの使命や仕事の内容を解説しています。先述の「善き人の ためのソナタ」でも、危険人物として監視されていた劇作家が自分の記録を見に行くシーンが最後にありましたが、まさにその情報がここに保管されているワケです。
キッチリしている真面目なドイツ人の仕事っぷりが圧巻であると同時に、スパイにこれ程の労力やコストをかけなければならなかった東ドイツの病んだ体制が窺えるような気がします。そんなお金があったなら他のことに使って国民を満足させられなかったのだろうか…と。(そんな単純なものではないですよね)
↓住宅街の中に突如現れる本部の建物。もちろん壁の崩壊まで、一般人にはその存在は知らされていなかったといいます。
↓オフィスの様子、これはお偉いさんの席でしょうか。電話も1台で回線1つの時代。…どれが鳴ってるか分からなくなりそう。
また、パソコンがなかった時代の情報管理は想像に難いものがあります…
↓盗撮用の小型カメラを仕込んでいた場所の一例。そして、実際にシュタージが撮影した写真です。今流行っているトイカメラやインスタグラムのフィルターのような仕上がりですね。これのせいで不当に逮捕され、自由な人生を奪われた人が何人いたんだろうと考えると、胸が苦しくなります。実際に逮捕された人のバイオグラフィーも多く展示されていました。
3. フリードリヒ・シュトラッセ駅検問所跡「涙の宮殿」
ここは入場無料のミュージアムで、東西ベルリンの数少ない出入口となっていた場所です。
もちろん一般の東ベルリン市民は国境を越えることを認められていないので、海外からの旅行者や特別な許可を得た人のみが通ることができた門であったといいます。
↓外観。ここでも多くの市民の痛切な別れや不当な逮捕などが繰り返されたのかと思うと、やはり胸が痛みます。
↓展示の様子。東西ベルリンの出入国のプロシージャをメインに、壁が作られてから崩壊までの30年を振り返る内容になっています。下の画像は、検問所が稼働していた当時の模型。
今は取り壊されていますが、この検問所の奥に駅に続く通路が存在していました。画像の右半分で表されている部分です。
↓これがまさに尋問室。ここを1人ずつ、細かく検査して出入国審査が行われたのですね。
通る人はきっと、何も悪いことをしていないのにいつどのように連行されるか分からない緊迫感を持っていたんだろうな、と想像します。
持ち物1つ1つを残らず申請しなければならず、特に現金の持ち込み・持ち出しは厳しかったようです。
《おまけ》
ぶらぶらと旧東エリア、特にカール・マルクス・アレー周辺を歩いていると、いかにもソ連の影響を受けたDDRらしい建物にもいくつか出会いました。思わず足を止めてパシャパシャ。
続いて、ドレスデン編に移りたいと思います。もうちょっとお付き合いをば。
No comments:
Post a Comment